社会の価値観が変化し続けてきたように、エンターテインメント作品もまた、時代や私たちの内面を映し出し、新たな視点をもたらします。
女性であることの困難は、遠いどこかのお話ではなく、常に隣にある現実です。
今回は、男女共同参画に関する映像作品を所蔵するあざれあ図書室の作品の中から、今SNSでの映画紹介が話題となっているミニシアター「静岡シネ・ギャラリー」による映画レビューをお届けします。
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『あのこと』
この映画でカメラは一人の女性を、一人の女性の姿だけを、追い続けます。だからあなたはいつしか自分を彼女に投影し、自分が彼女であるかのような感覚に囚われていくはずです。中絶が違法だった1960年代のフランスで望まない妊娠をして、相手の男を含めて誰からも助けてもらえず、刻々と時間だけが経過していく大学生であるかのような感覚に。
一週間、また一週間と、物語は進みます。身体に不可逆の変化が起こっていきます。彼女には、つまりあなたには、将来の夢があります。一週間経過。大学を中退して出産すれば夢はそこで終わります。二週間経過。明言さえ避けられて中絶という言葉が「あのこと」と表現されていた時代。三週間経過。あなたは誰にも相談できず、正規の医師は助けてくれない。四週間経過。あなたを妊娠させた男は夢もキャリアも手放すことはない。五週間経過。違法な中絶は高額で安全性も心許ない。六週間。時が過ぎる。決断しなくては……。
上から目線で彼女の行いや判断の正否を問うのではなく、ただ彼女となって、その恐怖を、怒りを、そして未来への情熱を、疑似体験していく映画。映画的な派手な演出やビジュアルはないのに、本当に圧倒的な、忘れがたい体験をあなたにもたらす作品です。
原作は、2022年度のノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノーが若き日の実体験を基に綴った短編「事件」。オドレイ・ディワン監督が映画化して、第78回ベネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞しています。
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『聖地には蜘蛛が巣を張る』
2000年代初頭、イランの聖地マシュハドで娼婦だけを狙い続けた連続殺人鬼「スパイダーキラー」。事件を追う女性ジャーナリストのラヒミは、時に自らを囮にして、真相に迫っていく――。
あらすじだけを読めば、謎解きがあったり、犯人との頭脳戦があったり、といったタイプの映画をイメージするかもしれません。だけど実際の事件を着想源としたこの映画で、物事はそれほどシンプルではありません。
犯人は天才ではないし巧妙でもない。それなのに捕まらない。彼は「街を浄化する」と声明を出しながら犯行を重ね、街にはそんな人物を英雄視する人々が大勢いる。そしてまた、そんな人々を内包しながら、街そのものが何事もないかのように平常運行している。警察も、聖職者たちも。
冒頭、空から夜の街を見下ろす全景ショットがあります。街の光が形づくる連なりは、まるでいびつな蜘蛛の巣のようで、標的とされる女性たちを、事件を追うラヒミを、あるいは「スパイダーキラー」に異を唱える心ある人たちを、絡めとろうとしているように見えます。
監督のアリ・アッバシはこの映画についてこう語っています。「連続殺人犯の映画を作りたかったわけではない。私が作ろうと思ったのは、連続殺人犯も同然の社会についての映画だった」
ラヒミは犯人に辿り着けるのか。それはもちろん「映画を観てのお楽しみ」というやつなのですが、映画を観終わった時には誰もが思うはずです。一人の犯人を捕らえて全てが解決するわけではないのだと。そしてまた、蜘蛛の巣のように見える街は、世界中にこの街一つだけではないのだろうと。
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『燃えあがる女性記者たち』
カバル・ラハリヤはインド北部ウッタル・プラデーシュ州で2002年に立ち上げられた新聞社。といっても、日本の大手新聞社をイメージしてこのドキュメンタリー映画を観ると、そのささやかな規模感や佇まいに驚かされることになります。
カバル・ラハリヤを立ち上げたのはカースト制度の外側に置かれる被差別民ダリトの女性たち。彼女たちは大手メディアが見向きもしない農村の事件や地方の問題を独自に取材し、それらを自分たちの手で発信しています。
楽な仕事ではありません。これまで光の当てられなかった場所に光をあてるのだから、それを喜ばない人々、軽んじる人々、邪魔する人々がいる。それでも彼女たちが伝えることで世界が少しだけ、時には大きく変化して、名もなき誰が救われ、何かが正されていく。
もちろん世界中の報道関係者が同じように様々な困難を乗り越えて正義と真実のために闘っているわけですが(ですよね、報道関係者各位?)、カバル・ラハリヤの記者たちには「ダリトの」「女性である」ことで更なる困難があります。取材先で受ける差別や偏見だけではありません。そもそも家から出て仕事をすること自体を、夫や家族に反対されるのです。でもそういう彼女たちだからこそ、大手メディアが取りこぼす現実を伝えているのかもしれません。
ハードな現実に直面することも多い映画なのですが、不思議なくらい暗さがなく、前向きな力を与えてくれる映画でもあります。ひとつにはカバル・ラハリヤの仲間たちが互いに連帯し、励まし合い、笑い合うシーンが多いから。迷った時、立ち止まった時、観返したくなる映画です。この映画そのものが、あなたの味方になってくれるはずです。
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■上記3作品(DVD)は全てあざれあ図書室で借りることができます。
■詳しい利用方法等はこちら
女性であることの困難は、遠いどこかのお話ではなく、常に隣にある現実です。
今回は、男女共同参画に関する映像作品を所蔵するあざれあ図書室の作品の中から、今SNSでの映画紹介が話題となっているミニシアター「静岡シネ・ギャラリー」による映画レビューをお届けします。
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『あのこと』
この映画でカメラは一人の女性を、一人の女性の姿だけを、追い続けます。だからあなたはいつしか自分を彼女に投影し、自分が彼女であるかのような感覚に囚われていくはずです。中絶が違法だった1960年代のフランスで望まない妊娠をして、相手の男を含めて誰からも助けてもらえず、刻々と時間だけが経過していく大学生であるかのような感覚に。
一週間、また一週間と、物語は進みます。身体に不可逆の変化が起こっていきます。彼女には、つまりあなたには、将来の夢があります。一週間経過。大学を中退して出産すれば夢はそこで終わります。二週間経過。明言さえ避けられて中絶という言葉が「あのこと」と表現されていた時代。三週間経過。あなたは誰にも相談できず、正規の医師は助けてくれない。四週間経過。あなたを妊娠させた男は夢もキャリアも手放すことはない。五週間経過。違法な中絶は高額で安全性も心許ない。六週間。時が過ぎる。決断しなくては……。
上から目線で彼女の行いや判断の正否を問うのではなく、ただ彼女となって、その恐怖を、怒りを、そして未来への情熱を、疑似体験していく映画。映画的な派手な演出やビジュアルはないのに、本当に圧倒的な、忘れがたい体験をあなたにもたらす作品です。
原作は、2022年度のノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノーが若き日の実体験を基に綴った短編「事件」。オドレイ・ディワン監督が映画化して、第78回ベネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞しています。
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『聖地には蜘蛛が巣を張る』
2000年代初頭、イランの聖地マシュハドで娼婦だけを狙い続けた連続殺人鬼「スパイダーキラー」。事件を追う女性ジャーナリストのラヒミは、時に自らを囮にして、真相に迫っていく――。
あらすじだけを読めば、謎解きがあったり、犯人との頭脳戦があったり、といったタイプの映画をイメージするかもしれません。だけど実際の事件を着想源としたこの映画で、物事はそれほどシンプルではありません。
犯人は天才ではないし巧妙でもない。それなのに捕まらない。彼は「街を浄化する」と声明を出しながら犯行を重ね、街にはそんな人物を英雄視する人々が大勢いる。そしてまた、そんな人々を内包しながら、街そのものが何事もないかのように平常運行している。警察も、聖職者たちも。
冒頭、空から夜の街を見下ろす全景ショットがあります。街の光が形づくる連なりは、まるでいびつな蜘蛛の巣のようで、標的とされる女性たちを、事件を追うラヒミを、あるいは「スパイダーキラー」に異を唱える心ある人たちを、絡めとろうとしているように見えます。
監督のアリ・アッバシはこの映画についてこう語っています。「連続殺人犯の映画を作りたかったわけではない。私が作ろうと思ったのは、連続殺人犯も同然の社会についての映画だった」
ラヒミは犯人に辿り着けるのか。それはもちろん「映画を観てのお楽しみ」というやつなのですが、映画を観終わった時には誰もが思うはずです。一人の犯人を捕らえて全てが解決するわけではないのだと。そしてまた、蜘蛛の巣のように見える街は、世界中にこの街一つだけではないのだろうと。
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『燃えあがる女性記者たち』
カバル・ラハリヤはインド北部ウッタル・プラデーシュ州で2002年に立ち上げられた新聞社。といっても、日本の大手新聞社をイメージしてこのドキュメンタリー映画を観ると、そのささやかな規模感や佇まいに驚かされることになります。
カバル・ラハリヤを立ち上げたのはカースト制度の外側に置かれる被差別民ダリトの女性たち。彼女たちは大手メディアが見向きもしない農村の事件や地方の問題を独自に取材し、それらを自分たちの手で発信しています。
楽な仕事ではありません。これまで光の当てられなかった場所に光をあてるのだから、それを喜ばない人々、軽んじる人々、邪魔する人々がいる。それでも彼女たちが伝えることで世界が少しだけ、時には大きく変化して、名もなき誰が救われ、何かが正されていく。
もちろん世界中の報道関係者が同じように様々な困難を乗り越えて正義と真実のために闘っているわけですが(ですよね、報道関係者各位?)、カバル・ラハリヤの記者たちには「ダリトの」「女性である」ことで更なる困難があります。取材先で受ける差別や偏見だけではありません。そもそも家から出て仕事をすること自体を、夫や家族に反対されるのです。でもそういう彼女たちだからこそ、大手メディアが取りこぼす現実を伝えているのかもしれません。
ハードな現実に直面することも多い映画なのですが、不思議なくらい暗さがなく、前向きな力を与えてくれる映画でもあります。ひとつにはカバル・ラハリヤの仲間たちが互いに連帯し、励まし合い、笑い合うシーンが多いから。迷った時、立ち止まった時、観返したくなる映画です。この映画そのものが、あなたの味方になってくれるはずです。
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■上記3作品(DVD)は全てあざれあ図書室で借りることができます。
■詳しい利用方法等はこちら
