小学校の高学年の頃だったと思います。夏休みの課題図書か何かで、本の注文書が配布されました。その中に、山中恒の「おれがあいつであいつがおれで」がありました。他にどんな本があったのかはほとんど覚えていないのに、その本の存在だけは鮮明に覚えています。
というのも、読んでみたいと思っているのに、なぜだか恥ずかしいようなうしろめたいような気がして、注文書になかなか○が書けなかったからです。結局、どうしても読んでみたくてこっそり購入したのでした。
なぜ読みたかったかというと、男の子と女の子の身体が入れ替わるというお話だったからです。思春期直前の僕にとっては刺激的な内容で、自分が女の子の身体と入れ替わってしまうことを想像して悶々としてみたり、「入れ替わったままになったらどうしよう」などと真剣に悩んだりしていました。
僕は、生まれたときから股間におちんちんときんたまがあって、男の子として育てられました。物心ついたときから「自分は男である」と思っていて、そのことを微塵も疑ったことはありません。そして、幼稚園の時に初めて芽生えた恋心の対象は女の子で、その後も恋愛の対象は全く変わることなく女性です。
そんな僕が大人になって、男子の身体に女子の心、女子の身体に男子の心を持つ人たちがいること、その数も決して少なくないことを知ったとき、「おれがあいつであいつがおれで」の世界が現実に存在することに驚きました。
さらに、トランスジェンダーで同性愛者という方が存在していることを知ったとき、その衝撃は大きく、頭の中がパニックとなりました。性自認(心の性)も性指向(どの性を恋愛の対象とするか)もよくわかっていなかったからです。身体の性、心の性、性指向、性表現について、自分の頭の中が整理できるまで1年以上を必要としました。
昔の人は「地球は宇宙の中心にあって、太陽や月や星が、この地球の周りを回っているのだ」と考えていました。この「天動説」は、約1400年もの長い間常識とされてきましたが、コペルニクスが「地球やその他の惑星が太陽の周りを回っている」と考えた方が理にかなっていると考え、「地動説」を唱えました。
ところが、「天動説」が絶対の真理とされていた中世キリスト教世界では、本当は正しい「地動説」はなかなか受け入れられませんでした。その後長い年月をかけて「地動説」の方が正しいことが証明され、現代では当たり前の事実となっているのです。
最近、LGBTQに関する話題がメディアにも取り上げられることが多くなってきました。僕が性の多様性について頭の中を整理していた約20年前と比べれば、社会全体での理解がだいぶ進んでいるように感じますが、それでも性の多様性の存在について頑なに認めようとしない方々がいたり、LGBTヘイトスピーチを繰り返したりする人たちもいます。この状況は、コペルニクスが地動説を唱えた頃の状況とよく似ているように感じます。
誰しも絶対だと信じていたことが否定されると、とまどい、にわかには受け入れられないものです。「身も心も男」「身も心も女」「男子で女子が好き」「女子で男子が好き」という人が多いため、社会全体でLGBTQの存在をないものとして考えていたような時代が続いていたので、性の多様性について知らなかったり、理解できなかったりしたとしてもおかしくないと思います。
ただ、人それぞれの性のあり方が多様であることは、紛れもない事実です。好き嫌いに関係なく、客観的事実を素直に受け入れ、認識の誤りがあれば訂正していくだけのこと。恥ずかしいことではありません。性の多様性の存在を認識することで、腑に落ちることが多くなると思います。
というのも、読んでみたいと思っているのに、なぜだか恥ずかしいようなうしろめたいような気がして、注文書になかなか○が書けなかったからです。結局、どうしても読んでみたくてこっそり購入したのでした。
なぜ読みたかったかというと、男の子と女の子の身体が入れ替わるというお話だったからです。思春期直前の僕にとっては刺激的な内容で、自分が女の子の身体と入れ替わってしまうことを想像して悶々としてみたり、「入れ替わったままになったらどうしよう」などと真剣に悩んだりしていました。
僕は、生まれたときから股間におちんちんときんたまがあって、男の子として育てられました。物心ついたときから「自分は男である」と思っていて、そのことを微塵も疑ったことはありません。そして、幼稚園の時に初めて芽生えた恋心の対象は女の子で、その後も恋愛の対象は全く変わることなく女性です。
そんな僕が大人になって、男子の身体に女子の心、女子の身体に男子の心を持つ人たちがいること、その数も決して少なくないことを知ったとき、「おれがあいつであいつがおれで」の世界が現実に存在することに驚きました。
さらに、トランスジェンダーで同性愛者という方が存在していることを知ったとき、その衝撃は大きく、頭の中がパニックとなりました。性自認(心の性)も性指向(どの性を恋愛の対象とするか)もよくわかっていなかったからです。身体の性、心の性、性指向、性表現について、自分の頭の中が整理できるまで1年以上を必要としました。
昔の人は「地球は宇宙の中心にあって、太陽や月や星が、この地球の周りを回っているのだ」と考えていました。この「天動説」は、約1400年もの長い間常識とされてきましたが、コペルニクスが「地球やその他の惑星が太陽の周りを回っている」と考えた方が理にかなっていると考え、「地動説」を唱えました。
ところが、「天動説」が絶対の真理とされていた中世キリスト教世界では、本当は正しい「地動説」はなかなか受け入れられませんでした。その後長い年月をかけて「地動説」の方が正しいことが証明され、現代では当たり前の事実となっているのです。
最近、LGBTQに関する話題がメディアにも取り上げられることが多くなってきました。僕が性の多様性について頭の中を整理していた約20年前と比べれば、社会全体での理解がだいぶ進んでいるように感じますが、それでも性の多様性の存在について頑なに認めようとしない方々がいたり、LGBTヘイトスピーチを繰り返したりする人たちもいます。この状況は、コペルニクスが地動説を唱えた頃の状況とよく似ているように感じます。
誰しも絶対だと信じていたことが否定されると、とまどい、にわかには受け入れられないものです。「身も心も男」「身も心も女」「男子で女子が好き」「女子で男子が好き」という人が多いため、社会全体でLGBTQの存在をないものとして考えていたような時代が続いていたので、性の多様性について知らなかったり、理解できなかったりしたとしてもおかしくないと思います。
ただ、人それぞれの性のあり方が多様であることは、紛れもない事実です。好き嫌いに関係なく、客観的事実を素直に受け入れ、認識の誤りがあれば訂正していくだけのこと。恥ずかしいことではありません。性の多様性の存在を認識することで、腑に落ちることが多くなると思います。