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エッセイ2019

田亀源五郎

「『早すぎる平等』などというものはない」

 

「早すぎる平等」などというものはない

 

 私は小学校低学年から大学を卒業するまで、神奈川県の鎌倉市に住んでいた。小中高と市内の学校に通い、東京の大学にも鎌倉から通っていた。就職を機に、東京都内で独り暮らしを始めたが、現在でも両親の住む実家は昔と変わらず鎌倉のままだ。そんな鎌倉市が、同性間パートナーシップ制度を年内に導入予定というニュースが、先日入ってきた。それを読んで私は、「へぇ、あの鎌倉がねぇ……」と、ひとかたならぬ感慨を覚えたのだが、それはそこが自分が育った町だということに加えて、もう一つ理由がある。

 

 現在私は、双葉社の「月刊アクション」という一般誌で、『僕らの色彩』というマンガを連載している。主人公はゲイの男子高校生で、名前は宙(そら)くんという。宙くんは、自分がゲイだということを自覚しており、そのことを受け入れてはいるが、周囲にカミングアウトする勇気はまだない。彼にとって、ゲイというのはまだ誰にも明かせない秘密であり、それ故に彼の日常には様々なさざ波が立つ。例えば、周囲の男子たちが好きな女性アイドルの話をしているとき、自分は同性が好きなんだとは言えない彼は、好きでもないアイドルのことを好きだと嘘をつく。あるいは、女子から好きだと告白されたとき、自分がなぜ彼女の気持ちに応えられないのか理由を言えない。母親ですら、息子は男の子だから女の子のことが好きなのだと、当たり前のように勘違いしている。

 

 こういったエピソードには、作者である私自身の体験が少なからず反映されている。鎌倉市内の高校に通いながら、既に自分はゲイだと自覚していたが、そのことを相談できるような人は、周囲に誰もいなかった頃。もちろん同じゲイの友人もいなければ、将来のモデルケースになるような大人のゲイもおらず、テレビでも雑誌でも平然とゲイが笑いものにされているような、そんな時代。そういう1980年代初頭の、私自身の想い出を辿りながら描いているので、必然的に物語の舞台も、アバウトな形ではあるが鎌倉近辺になっている。

 

 その、鎌倉の高校に通っている主人公の宙くんが、自分の町で同性間パートナーシップ制度が導入されるというニュースを知ったら、どんな反応を示すだろうか。それでいきなりカミングアウトするということは、流石にないだろうが(カミングアウトとはそうそう簡単に越えられるハードルではない)、それでも何らかの勇気を貰えることは間違いないだろう。地方自治体によるパートナーシップ制度には、国家レベルでの同性婚の合法化のような法的な効力はないものの、それでも公の機関によって関係性の証明が公的に成されるということは、宙くんのような悩めるティーンエイジャーには、きっと大きな意味があるはずだ。

 

 それはひょっとしたら、私が高校生のときにゲイを自覚して、「皆と違う自分は、不自然で異常な変態なのだろうか」と悩んでいた頃、デズモンド・モリスの著書『裸のサル-動物学的人間像』の中に、動物学的な観点から言っても同性愛は不自然や異常なことではないといったニュアンスの一文を見つけて、心から救われた気持ちになったときと、同じような感じかも知れない。私はそのとき初めて、他の誰かから「君はそのままでも大丈夫だよ」と、言って貰えたのだ。もし同性間パートナーシップ制度が、かつての私のような、同性を好きになってしまい悩んでいる子どもたちへの、「君はそのままで大丈夫だよ」というメッセージになり得るのであれば、それだけでも充分以上の意義があろう。

 

 ではそれは、ゲイやレズビアンやトランスジェンダーといった、当事者のみにとって意味のあることなのだろうか。私の考えでは一部は「イエス」であり、一部は「ノー」だ。「イエス」である理由は、誰でも自分の人生を自分で選択し、自分で決定する権利があるということだ。例えば婚姻の場合、結婚の権利は当事者のものであって、第三者にそれを決める権利はない。そして同性婚や同性間パートナーシップは、それを必要とする当事者に属する制度だ。それを必要としない人々、つまりこの場合は、既に婚姻の権利を有している異性愛者に、横から反対される筋合いはない。同性愛者も異性愛者も、どちらも同じように好きな人と一緒になれる権利があれば、それで良いというだけの話だ。

 

 とはいえ、同性愛者も異性愛者も同じ社会に生きている。私のように一般誌でゲイをテーマにしたマンガを描いていると、時として、一般読者向けとして内容的に間口が狭いといった反応が来ることがある。それはある部分では真実かも知れないが、しかし同時に「そんなことはないだろう」という反発も覚える。なぜなら、もしゲイのことはゲイだけの問題だ、他人事だと思う人がいたとしても、その人の家族にゲイがいたら、それだけで既にその人はゲイと無関係ではなくなるからだ。家族だけではない、学校でも職場でも町内でも同様だ。ゲイを表に出せない『僕らの色彩』の宙くんは、あなたのすぐ隣にいるかも知れないのだ。そして同じ社会に生きている以上、「私の問題」も「あなたの問題」も、どちらも「私たちの問題」である。これが「ノー」の理由だ。

 

 同性間パートナーシップ制度の導入を知った宙くんや、現実に生きるセクシュアル・マイノリティのこどもたちは、そのことから勇気や希望を貰うだけではなく、ひょっとしたらいつか自分もという夢を抱くかもしれない。男女の夫婦と同じように、好きな人と一緒になり幸せな家庭を築けるかもしれないという夢。それは、私が彼と同年代の頃には全く存在していなかった、新たな人生の可能性であり選択肢だ。

 

 そしてふと、こんなことも考える。もし自分が40年前に戻り、高校生の私に「未来では鎌倉市でも同性間パートナーシップ制度が導入されるよ」と教えたら、どんな反応をするだろう。目を輝かせて喜ぶだろうか。いやそれより、40年後だなんて遅すぎると嘆くのではないか。55歳でようやくパートナーシップ制度ができるものの、しかしまだ男同士での結婚はできないことに、喜ぶどころか絶望するかも知れない。今を生きる子どもたちのためにも、そしてその子どもたちの幸せを願う親たちのためにも、誰でも望む相手と法的に一緒になれる平等な権利がある社会の到来は、遅すぎるということはあっても、早すぎるなどということは決してない。

 

田亀源五郎

マンガ家、ゲイ・エロティック・アーティスト。1964年生まれ。

80年代中頃からゲイ雑誌「さぶ」「バディ」「ジーメン」等でマンガ、イラストレーション、小説を発表。代表作『銀の華』『君よ知るや南の獄』など。

初の一般誌連載作品『弟の夫』が第19回文化庁メディア芸術祭 マンガ部門 優秀賞、第47回日本漫画家協会賞 優秀賞、仏アングレーム国際漫画祭 最優秀漫画賞ノミネート(オフィシャル・セレクション選出)、米アイズナー賞 最優秀アジア作品賞、米ハーベイ賞 マンガ部門ノミネート、米GLLI 翻訳ヤングアダルト書籍賞、米YALSA ティーンのためのグラフィック・ノベル トップ10など、国内外で数々の漫画賞を席巻。2018年にはNHK BSプレミアムにてドラマ化され話題に。

現在「月刊アクション」で『僕らの色彩』連載中、単行本第2巻が2019年10月11日に発売。

アーティストとしては主に海外で活動。パリ、ベルリン、ニューヨーク等で個展を多数開催、企画展招聘やアートブックへの作品収録も多数。

 

 

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ブックサポーター 田亀源五郎さんの本

あざれあ図書室

『弟の夫 全4巻』

(田亀源五郎

   双葉社 2015~2017年)

突然現れた弟の結婚相手はカナダ人で男性だった・・・。自分の中の偏見に気づくことで、とまどいながらも徐々に家族として受け入れていく主人公の姿を描きます。シングルファザーやステップファミリーなど、新しい家族のあり方についても問う作品です。

「SUPER SHINY

同性婚も、既存の婚姻制度の見直しも、並行して議論すればいい」

〈『BEYOND 第5号』

  特集:日本のLGBT30年史〉

(特定非営利活動法人

東京レインボープライド2019年)

「それぞれが望む形で家族を作れるようになればいい」家族のかたちや同性婚など、婚姻についての考えを語った田亀さんのインタビュー記事です。『BEYOND』は日本のプライドパレードの主催団体「東京レインボープライド」の広報誌、第5号の表紙は『弟の夫 第1巻』をモチーフにした描き下ろしイラストです。

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