男女共同参画WEBマガジン
epoca
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インタビュー2017
この人に聞く!
熊谷 滋子さん
(静岡大学人文社会科学部教員)
「ことばとジェンダー」
「女ことば」・「男ことば」・ジェンダー
文法書では「日本語には性差があります」と記載されていますが、「女ことば」を実際に使っている人は思っているほどいるわけではなく、主に小説やテレビドラマなどのフィクションの登場人物や、芸能界の特定の人物特徴を持たせた、いわゆる“おねえ系”の人などが使っているものが中心的なのではないかと思っています。
私は岩手県出身で東北方言の中で育ち、まわりには誰も「女ことば」を使っている人はいませんでした。東北方言では、「おれ」や「おら」などは男も女も使いますし、一般的にも日本の方言にはあまり男女差がありません。そのため、小さいころ、小説やテレビドラマなどに使われている「女ことば」を読んだり聞いたりすると、それらは東京の人たちの話す言葉ではないかと思っていました。そのうち、東京に足をのばしてみても、「…だわ」や「…かしら」などのいわゆる「女ことば」を実際に使う人はそれほどいないということに気づくようになりました。そうなると、文法書でいうところの言葉遣いの男女差というものは、日本国民の全員が使用している言葉遣いではないと認識するようになり、同時に疑問をもつようになりました。
歴史的にみると、少なくとも小説などでは、江戸時代までは、男女共に「…だぜ」とか「…かしら」などの言葉遣いをしていて、男女の区別はなかったと言われています。それが明治時代、近代国家の政策によって、標準語が作られた後、西洋の発想である男性女性といった二項対立的な発想も取り入れられ、女は女らしく、男は男らしくという要請のもとに、「女ことば・男ことば」というものも形成されていったのです。もともと日本では古くから、男女を区別した諸々の制度をつくってきたわけではありません。例えば“混浴”などの文化も当たり前にありました(今でも温泉によってはあります)。近代西洋文化の影響により“混浴”は“野蛮”なものだと考えられるようになったにすぎません。つまり男女差を敏感に感じるよう意識させられるようになったのです。
なぜ、それほど実際に日常会話ではあまり使われていない「女ことば・男ことば」が、現代でも有効なものとして、あるいは違和感をもたず、受け入れられているのでしょうか。その理由の一つとしてすぐに思い浮かぶのは、“女は女らしく”、“男は男らしく”というジェンダーがことばの面でも深くしみ込んできているからではないかということです。“女らしさ・男らしさ”というのは結局、“しつけ”みたいなもので、それが言葉の上にも現れているのです。男性が発すると気にならない言葉も、女性が同じ言葉を発すると違和感を持ち、「女らしくない」と感じるのは、“女はこうあるべき”というジェンダーに縛られているせいなのです。さらに、フィクションなどのメディアに、現実とギャップがあるくらい「女ことば」が強調されて使われているのは、メディアもそのようなジェンダーをずっと根っこにもち、あるいは逆につくりあげ、そして再生産しているということです。むしろメディアが私たちのジェンダー意識に大きな影響を与えていると考えています。
特に、外国文学や映画などの翻訳や字幕などをみると、完璧な「女ことば」が使用されているのがわかります。例えばM・ミッチェルの『風と共に去りぬ』では、殺人まで犯して生き抜く強い女性スカーレット・オハラやH・イプセンの『人形の家』では、離婚して独り立ちしていく女性ノラが描かれていますが、日本語の翻訳は「…だわ」、「…かしら」などの「女ことば」のせいで、せっかくの力強いセリフも弱々しいイメージを与えてしまいます。つまり、力強く生き抜く、自立した女性のことばが「女ことば」で翻訳されることで、従来の女らしさをもった中途半端な性格を帯びてしまうことになってしまうのです。こういった、フェミニズムの視点を持つ文学やジェンダー絵本などに「女ことば」が使われているのをみると、違和感を持たざるを得ません。
文学や絵本などは、子どもたちが言葉を学ぶための手本となります。日常生活では実際に使っていなくても、様々な場面で「女ことば」に出会うことで、それが現実の生活に跳ね返ってきて継承されていくのです。女・男はこう話すべきという作られたイメージが無意識のうちに教えられ、育っていくことになるのです。
方言に男女差があまりなくても特に問題もありませんでした。標準語とその女版「女ことば」あるいは男版「男ことば」が望ましい日本語であるという見方は非常に窮屈です。“女だからこう話すべき”ではなく、個人として、こういう話し方をしたいと思ったら、それができるようになるといいなと思っています。
ブックサポーター ことばとジェンダー
あざれあ図書室
『女ことばと日本語』
(中村桃子 岩波書店 2012年)
「日本語には、なぜ女ことばがあるのか」をテーマに、鎌倉時代から第二次世界大戦後までの歴史をたどっていきます。100年以上も前から“最近”の女性の言葉づかいが嘆かれ続けていることなど、各時代の資料から明らかにしています。
『翻訳がつくる日本語:ヒロインは「女ことば」を話し続ける』
(中村桃子 白沢社 2013年)
どうして、海外小説のヒロインは日本女性よりも女らしい日本語で話しているのでしょうか。本書では、洋画や海外ドラマ、翻訳小説などを取り上げ、女ことば・男ことば・方言に注目して、その傾向や日本語との関係を見ていきます。
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