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自分らしく生きるためのヒントを見つける旅にでよう

エッセイ2019

伊藤比呂美

「早稲田でジェンダーについて考える」

©吉原洋一

 

早稲田でジェンダーについて考える

 

 「ジェンダー」について考えるとき、気になるのが、さわぎすぎじゃないか、自然に、あるがままに生きていけばいいんじゃないかという意見。

 今、わたしは3年契約で早稲田大学で教えているんですが。

 授業の中の1つ、「文学とジェンダー」は、大教室で大人数、文学=人生だと言いくるめ、毎回学生たちからいろんな人生の悩みを受けつけています。

 授業の終わりに、感想シートと呼ばれる紙片に、それは出席票としても扱われるので、みんな必死で書くわけです。

 LGBTの子はもちろん自分について語る、自信がないということを語る子もいる、セックスしたいとか、セックスしたくないとか、彼氏とのつきあい方や、父の不倫、母との口論、人に対して仮面をかぶってしまうことや、弟がひきこもっていることや、本当にいろいろな悩みや問題を書いてきます。

 授業では、それを使いながらみんなで議論をしていくわけですが、300人近くいるから、その場での議論はむずかしい。

 それで、感想シートを集めた次の週に、わたしが匿名で読み上げて、また感想シートに意見や感想を書いてもらい、次の週にわたしがその意見や感想を匿名で読み上げると、みんなもまたさらに意見や感想を書き、また次の週にそれを読み上げる、という、そういう方式でやっています。

 初めのうちは、ネットでよく見るような、ただ相手を叩きのめしたがっているような、安っぽい攻撃口調のものもありましたが、たとえ匿名でも相手をリスペクトしろ、とわたしが苦言を呈したところ、たちまちわたしの意見に同意する意見がいくつも来て、そういうネット言語的な攻撃性はナリをひそめた。

 若者、いいな、捨てたもんじゃないな、とわたしは心から思ったのです。

 クラスの最初には、女らしさについての短い動画を見せました。2015年に作られた、ある生理用品のCMです。

 監督が、10代後半の女の子たちに、「女の子らしく走って」「女の子らしく投球して」「女の子らしく戦って」などと指示を出す。すると女の子たち、そして10代の男の子たちも、なよなよとした力のない動きを見せる。

 次に監督は、10歳くらいの女の子たちに同じことを指示する。すると女の子たちは一生懸命に走る。

「女の子らしく走るってどういうこと?」と監督が聞くと「できるだけ早く走ること」とその子たちはきっぱりと答える。

 思春期を境に女の子たちは自信を失っていく。思春期前後の繊細な時期に、「女の子らしく」ということばが、相手をおとしめる意味で使われているのを、当の女の子たちが経験したらどうなるか。監督は質問を投げかける。

「もう一回やってみる?」と監督が、さっきなよなよと走った10代後半の女の子に言う。

「はい、やってみたい」と女の子は言う。

「女の子らしくってどういうこと?」

 すると、その子は答える、「自分らしく」と。そして疾走する。

 動画を見せる前に何人か前に出てきてもらって、「女らしく走ってみて」と指示すると、まったくその後に、動画の中でくりひろげられるのと同じことをみんながやるのでした。それはもう、おかしいくらいやるのでした。

 この動画ができてからもう4年経つんですが、その間に#MeTooの運動が起こり、その間に、わたしは高校で2回見せて、大学で3回見せました。そして状況はあんまり変わっていません。

 それから絵本も見せました。大学生になって、大教室で絵本の読み聞かせをされて、学生たち、最初はとまどっていましたが。

 同じ作家の作った絵本が、女の子が主人公のときと、男の子が主人公のときでは、ほんとに違う。たとえばマリー・ホール・エッツの名作「もりのなか」は、男の子が動物たちを従えてどんどん森の中に入っていくお話ですが、同じマリー・ホール・エッツのこれも名作「わたしとあそんで」は、女の子が池のほとりでただじっと待っていれば動物たちが寄ってくるというお話。

 ともにすばらしい絵本ですけどね、これをごく小さいときに、大好きな親や保育園の先生から読み聞かせされることで、何か変化があるのではないですかねえ、と問いかけたら、感想シートに、意見が細字でびっしりと書かれてきました。

 先日は、某カミソリ会社のCMを見せました。

 #MeToo を意識して今年2019年に作られたもので、男らしさとは何か、昔ながらのそれにわれわれ(男たち)はとどまっていていいのか、という問いかけがはっきりと示されたCMでした。

「男らしさとは?」について書いてもらったときには、「強さ・包容力・リーダーシップ」などと書きながらも「こんなことを書く私はもしかしたら、男の子たちを、ひいては自分たちを、差別してるんじゃないだろうか」と考える女子の声が上がりました。

「男らしさ・強さ・リーダーシップ・筋肉ムキムキ・背が高い」などと書きながら、「どれも俺にはない。俺は俺だあ、ばかやろう」とやけっぱちになりつつ、自分をみつめる男子の声も上がりました。

 そんな風にして何週間かかけて、女らしさ男らしさを考えた後に、わたしたちは「ワリカン」について考えました。

「みんなはどうしてますか、私は男の人に多く出してもらうのがいやだ、出してもらうと対等でいられないような気がする」という声が、女子から上がったのでした。

 さて、みんなに意見を聞いてみると、「ワリカン」「自分の分は自分で払う」が多かったんですが、「男子に多く出してもらうのは、自分を認めてもらってるみたいでうれしい」も少なからずありました。

 男子からは「好きな女子と食事をしたら多く出したい」もあったし、「僕はほんとうはワリカンにしたい。多く出したくないが、出してしまう」もありました。

 あれだけ話し合い、いろいろと考え、いろいろと気がついた後で、ワリカンという身近なところで、思わず本音が、昔とあんまり変わらないままの本音が出たわけです。

 ジェンダー問題のむずかしさ、奥深さを、みんな(300人弱)で認識して、わたしがみんなに提案したのは、「このクラスの人たちは、今後、ワリカンにしよう。ケチと女子に思われそうになったら、出してあげると男子に言われたら、『伊藤センセーのクラスで、そういう約束をしたから』と言うことにしよう」とみんなに申し渡した(もちろんここで爆笑)わけでした。みんな、言えてるといいのですが。

伊藤比呂美

詩人、作家。1955年東京生まれ。

1978年『草木の空』でデビュー。著書に、『ラニーニャ』(岩波現代文庫)、『とげ抜き新巣鴨地蔵縁起』(講談社文庫)、『家族アート』(岩波書店)、『ミドリノオバサン』(筑摩書房)など。1984年から熊本在住。1997年から米カリフォルニア州にも在住し、熊本とカリフォルニアを往復する。2018年から早稲田大学文学学術院教授。

 

 

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ブックサポーター 伊藤比呂美さんの本

あざれあ図書室

『たそがれてゆく子さん』

   (中央公論新社 2018年)

親を看取り、娘たちは家を出て、夫は死んだ・・・。60歳になった伊藤比呂美の老いへ向かっていく毎日を、「あたしはあたし」「がさつぐうたらずぼら」の極意とともに綴ります。明るく楽しい内容ばかりではないけれど、軽妙なリズムで書かれた文章に心をつかまれます。

『女の一生』

    (岩波書店 2014年)

「お母さんがダサいTシャツを買ってくる(10歳)」から「周りが認知症を疑って腹立たしい(75歳)」まで、あらゆる女の悩みに、女の一生が人生のテーマという伊藤比呂美が答えます。巻末の『或女の一生』では、彼女の歩んできた道を垣間見ることができます。

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