男女共同参画WEBマガジン
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エッセイ2022
カレー沢 薫
「終活はお早めに」
終活はお早めに
数年前から「終活」をテーマにした漫画を書いている。
だが、終活と言っても、主人公は向こう側が透けて見えるほど終わりに近い老人ではなく、30代半ばの女性だ。
別に余命宣告されているというわけではなく、自ら人生を時短勤務に変えることもなく、ダメだと言われても平均寿命まで生きるつもりでの終活である。
よって当初は「そんな歳から死を考えるなんて後ろ向きすぎる」「終活より先に婚活でしょ(笑)」などと言われ、受け入れられないのではないか、と思っていた。
結論から言うと「婚活(笑)」というツッコミは本当に来て、身の回りのものを若干破壊してしまったが、若くしての終活については拒否反応はほとんどなく、むしろ「自分も漠然と老後や死に関して不安を抱えていた」という共感の声が多かった。
ネットの声なので、共感してくれたのが全員90歳以上という可能性もゼロではないが、意外と主人公と同世代からもっと若い人からの反響もあった。
ただ、共感してくれたのは圧倒的に女性が多い印象だ。
何故、女性の方が老後や死に支度に関心があるのか、逆に男性は女性ほど関心を持たないのか、というと、まず男と女の平均寿命の差のせいがある。
男より女の方が長生きなため、女は例え結婚などをしていても「最終的に生き残るのは私」というラストマンスタンディング精神と老後一人のイメージを持ちやすいのかもしれない。
また男女の役割の違いも関係している気がする。
現在では大分変わりつつあるが、それでも男は仕事、女は家庭という構図がなくなったとは言い難い。
老後、介護、死後、というのはどちらかというと「家庭」にカテゴライズされる。
そもそも仕事のせいで、老けるし、要介護になるし、死ぬしでさらにその後始末を家庭でつけさせられる羽目になっているのだが「自分の役割は仕事」だと思っている人にとってそれら家庭のことは自分のことであっても「自分以外の誰かがやること」という意識になりがちなのだ。
対して家庭を担っている人間は老後や死後に関しても「誰かがやってくれる」という意識が薄く、早くから自分で準備を始めようとするのではないだろうか。
だが、自分の老後や死後を自分ではない誰かが準備してくれる率は年々低下しているような気がする。
例え子供がいたとしても、核家族化が進んでいるため、別居で結局老後一人暮らしというパターンも多く、介護はもちろん倒れてもしばらく発見されないケースも増えている。
幸い子供が同居しており24時間家にいるという場合もあるが、それはそれで8050とか別の問題が発生してしまっている気がする。
子供でさえそうなのだから、自分が先に死ぬから配偶者に看取ってもらう、というのはあまりにも運を天に任せすぎている。
仮に自分の方が先に死ぬとしても、己が加藤茶でもない限りは自分が死にそうな時、相手も死にかけである可能性が高い。
そんな相手に介護等の重労働が十分にできるとは考えづらく、最悪共倒れになる可能性がある。
よって、自分の老後や死に支度というのは誰かではなく自分でやるものという考えが徐々に広がってきている、それが「終活」だ。
しかし終活と一言で言っても、今までの人生の整理と管理、老後から死ぬまでの計画と、やることは多く頭も使う。
つまり終活というのは気を抜くと尿どころか魂すら抜けかねない年齢になって始めるには遅すぎる場合があるのだ。
よって「若いうちから考えておく」というのはむしろ当然のことであり、子供など代わりに考えてくれる人間の当てがない者はなおさらなのである。
そして老後や死は「必ずくる」のだ、終活ほど「考えるだけ無駄だった」という結果にならないものはない。
ぜひ有意義な時間の使い方の一つとして「終活」を考えてみてほしい。
カレー沢 薫
1982年生まれ。漫画家、エッセイスト。
漫画『クレムリン』でデビュー。
エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』など多数。
コミックDAYS(講談社)で連載中の漫画『ひとりでしにたい』で〈第24回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞〉受賞。
ほか多数媒体で連載を抱える。
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