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自分らしく生きるためのヒントを見つける旅にでよう

エッセイ2018

山崎ナオコーラ 「先進的と言うな」

 

先進的と言うな

 

 性別にこだわるのが好きか、あるいは、性別にこだわらないのが好きか、それは単なる好みだ。

 自分の性別にちなんで、女性らしく、あるいは、男性らしく、ファッションや仕事の方向性を定める方がキラキラと生きていける人もいれば、自分の性別にあまり構わずに服や職業を選んだ方が輝く人生を築ける人もいる。それぞれだ。

 

 それなのに、「性別にこだわらずに生きている人」を先進的と捉える向きが世間にはある。そして、「性別にこだわって生きている人」を、「遅れている」「古い人間」「前時代的」などと揶揄する空気がある。

 「新しい」「古い」とラベリングすることには、「性別にこだわらずに生きている人」にとっても、「性別にこだわって生きている人」にとっても、デメリットでしかない。

 たとえば、「性別にこだわらずに生きている人」が性別イメージを押し付けてくる世の中で生きづらさを感じ、「性別にこだわって生きている人(女性らしい、あるいは男性らしい人)」に対して「現代的ではない」という批判をしたら、反発を受けるに決まっている。「古い」と言われて良い気分になる人はいないし、自分が大事にしている価値観が未来には消えていくとされて喜ぶ人もいない。「そんな考え方はおかしい。女性らしくしろ」と猛反撃が起こる。そうなれば、「性別にこだわらずに生きている人」は余計に生きづらくなる。

 そもそも、「性別を大事にする文化」は決して古くない。

 性別に関する文化や風習は、国や時代によって様々で、そこに優劣や新旧という価値を入れる必要はない。

 当たり前のことだが、女性らしさを大事にしながら生きる、新しい女性もいる。

 

 私は職業として作家をしており、プロフィール上は、自分の性別を非公表としている。私個人の感覚として、「女性作家」というカテゴリーに入れられるときに嫌な気分を味わってしまう。だから、できるだけ嫌な気分にならない工夫をしていきたいなあ、と性別で職業を分けられそうなシーンがあったら、「性別非公表なんでーす。えへ」と笑って流そう思ったまでだ。

 こういうことをエッセイに書いたり喋ったりすると、「新しい考えを世に広げようと頑張っている」「新時代の女性として、細かいことにも気をつけていこうとしている」と受け取られてしまうことがある。

 いやいや、私は、他の人たちが女性らしく生きることにはまったく批判的でないし、日々リラックスして過ごしておりわざわざ細かいことに気をつけようなどとは全然思っていない。

 そうではなくて、「私の場合は、性別にこだわらずに生きた方が、自分らしく過ごしていける。そのことを引け目と感じず、堂々と自分の感覚を言葉にしていこう」というだけなのだ。生まれつきの性格のせいで、力を抜いていても細かいこと(「男性作家とは違う仕事をしてくださいね」と言われたとか、「女性らしい魅力で書き続けてくださいね」と勧められたとか)で傷ついてしまうので、そういうシーンで、「相手も自分も悪くない。感覚がそれぞれなだけなんだ」と笑って流せないかなあ、と思っているだけなのだ。

 

 私の友人には、女性らしさを大事にしている作家もいるし、主婦もいるし、女性としての魅力が仕事になる職業の人もいる。

「女性作家」というくくりをむしろ好み、女性が生きやすい世の中を作ろうと仕事をする人もいる。

 髪の毛をくるくるに巻いて、男性を立てるのが好きで、家事が得意な女性で、斬新な意見をばんばん言う人もいる。

 そういう人たちを私は尊敬している。新時代を作っていく人たちだな、と見上げている。

 だから、「私の場合は、性別にこだわらずに仕事をしていきたいんです」というセリフが、女性らしく仕事をしている人への批判と受け取られてしまうのは、とても残念だ。

 

 「新しい」「古い」という概念があるせいで、自分の好みを伝えただけなのに、「古い価値観を消そうと努力している」と勘違いされてしまうのではないか?

 

 性別の話をする際に、「古い」「新しい」という切り口を作らないようにしていきたい、と自戒をこめて思う。

 

 「古いから駄目なんだ」ではなく、「性別のせいで苦しむ人がいない社会を作ろう」「性別にこだわらずに活躍したい人が世の中にたくさんいるのに、性別を理由に能力を発揮できない場合がある。それは社会にとって不利益だから、性別で規定しないようにしよう」「多様性を受け入れられる世の中がいいよね」「これまでに育まれてきた『女性らしさ』『男性らしさ』の文化を決して否定することなく、それに当てはまらない価値観も肯定していこう」「性別を大事にしたい人も、そうでない人もイキイキできる社会にしよう」という伝え方を心がけたいものだ。

 

 ときどき、ニュースなどで、「日本は、女性の社会進出が遅れている」といったフレーズを耳にすることがある。私は、この「遅れている」という表現にも引っかかる。遅れているから駄目だと誤解されはしまいか? 先進国になりたいから、女性の社会進出を行なっているわけではない。「いろいろな人が生きやすい社会」を作りたいだけだ。

 遅れている、なんて言葉は使わない方がいい。

 

 

山崎ナオコーラ

作家。1978年福岡県生まれ。

卒業論文は「『源氏物語』浮舟論」。2004年に、『人のセックスを笑うな』でデビュー。著書に、小説『偽姉妹』(中央公論新社)、エッセイ『母ではなくて、親になる』(河出書房新社)、絵本『かわいいおとうさん』(絵ささめやゆき)(こぐま社)など。目標は、「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」。

 

 

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ブックサポーター 山崎ナオコーラさんの本

あざれあ図書室

『母ではなくて、親になる』

  (河出書房新社 2017年)

「母親」ではなく「親」として子育てをすること、できるだけ子どもの性別を書かないことを決めた著者。育児中や日常の中で感じたこと、考えていることが綴られています。子どもをひとりの人間として考え、慈しんでいる様子が伝わってくる本です。

『この世は二人組では

       できあがらない』

     (新潮社 2010年)

小説家になることをめざす「私」は恋人との出会いと別れを経て、2人組の関係に限らない、ゆるやかに繋がっていく社会を望んでいくようになります。自分自身の価値観を大切にしている1人の女性の姿が描かれています。

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