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自分らしく生きるためのヒントを見つける旅にでよう

エッセイ2019

清田隆之

(桃山商事)

「俺たちは全然"客観的"で"中立的"なんかじゃない」

 

俺たちは全然"客観的"で"中立的"なんかじゃない

 

 なんであんなこと言っちゃったんだろう……。過去の発言を思い出し、心臓がキューッとなる瞬間が多々ある。

 

 例えば私は学生時代、C子さんという女友達から「バイト先の先輩にいきなり背後から抱きつかれ、怖い思いをした」という相談を受けた。聞けば彼女はバイトの非番だった日、「うちでゲームをしよう」と誘われ、先輩の家に行った。そこで好きなゲームを一緒に楽しみ、のんびりと休日を満喫していた最中、先輩がいきなり背後から抱きついてきた、という出来事だった。

 

 ゲームという同じ趣味を持ち、先輩に仲間意識のようなものを抱いていたC子さんは、恐怖とショックのあまりその場をすぐに立ち去ったという。「これからバイトどうしよう」とも悩んでいた。それなのに、友人としてその話を聞いた私は、あろうことか「なんで一人暮らしの男の部屋に行ったりしたんだよ……」と言ってしまった。

 

 私は普段、「桃山商事」というユニットで、主に女性たちの失恋体験や恋愛相談に耳を傾け、そこから見える恋愛とジェンダーの問題をコラムやラジオで発信している。なぜそんな活動をやっているかについてはいろんなところで書いてきたので割愛するが、私はこれを通じ、「男性と女性では見えている景色がかなり違うのではないか」という思いを抱くようになった。そしてジェンダーをめぐる様々な言説に触れるようになった。そしてわかったのは、私が当時C子さんに言ってしまったセリフは、いわゆる「セカンドレイプ」と呼ばれる行為と同種のものだった、ということだ。

 

 セカンドレイプとは、痴漢やセクハラ、性暴力など、性的な被害に遭ってしまった人が、世間やメディア、また周囲の人間などから受ける二次被害のことを指す。「勘違いでは?」「欲情を誘う格好をしていたのでは?」「よくあることだよ」「忘れたほうがいいよ」「なぜ犯人と二人きりになったの?」など、ただでさえ被害で傷ついているところへ、あらぬ誤解や無神経な言葉、無理解や落ち度の指摘などによってさらなる追い打ちをかけられる。被害者に自責の念を植えつけてしまう、とても罪深い行為だ。

 

 私がC子さんにしてしまったのは、認めるのはとても苦しいが、どう考えてもセカンドレイプだった。もちろん彼女を傷つけるつもりは毛頭なかったし、むしろ二度とこういう被害に遭って欲しくないという思いから言ったセリフですらあった。しかし、セカンドレイプをした人の多くは「悪意はなかった」と言う。傷つけていることに自覚がないケースがほとんどだ。

 

 ではなぜ、私はあんなことを言ってしまったのか。心の内側を顕微鏡でのぞいてみると、そこにはほの暗い感情の数々が見え隠れしていた。

 

 実は私は彼女に秘かな思いを寄せていた。つまり、片想いの相手が自分以外の男性の家に遊びに行ったことに嫉妬していたのだ。それどころではない。「俺なら絶対に君を傷つけるようなことはしない」と主張したい気持ちもあったし、「なぜ俺に振り向いてくれないんだ!」という苛立ちもあった。「女って本当に男を見る目がないよな!」と責め立てたい気持ちもあったし、「自分および自分が認めた男以外の男性は大体クズ」という偏見意識も正直あった。

 

 改めて考えてみると、そこにあったのは嫉妬、自己アピール、謎の被害者意識、ミソジニー(女性嫌悪)にミサンドリー(男性嫌悪)など……直視するのがつらいものばかりだ(知覚できていないレベルではもっと細かな感情が入り混じっていたと思う)。でも当時の自分にそのような自覚はなかったし、むしろ“彼女のために”“よかれと思って”言ってるくらいの意識だった。

 

 C子さんとはその後、何度か告白するも振られてしまい、いろいろあって今は友人関係も途絶えてしまった。今さら彼女に謝ることはできないし、あのときどう思ったのかを確認することもできない。しかし、「なんで一人暮らしの男の部屋に行ったりしたんだよ……」という言葉の根底にあったのは利己的で自己防衛的な感情だったことは確実で、あのとき私がすべきだったのは叱責やアドバイスではなく、いったん彼女の話を聴き切ることであったと、今になって強く思う。

 

 作家・姫野カオルコさんの小説『彼女は頭が悪いから』(文藝春秋)には、2016年に東京大学の学生5人が起こした性暴力事件の際の、ネットを中心とする苛烈な被害者バッシングの模様が克明に描かれている。ジャーナリストの伊藤詩織さんが性暴力被害を顔出しで告発した際もセカンドレイプの嵐が吹き荒れた。痴漢やセクハラなどの事件が報道されるときも、慰安婦問題がニュースになるときも、その手の言説がSNSやコメント欄であとを絶たない。

 

 たとえそれがどれだけ論理的でもっともらしい言説であっても、被害者に追い打ちをかけるものはすべてセカンドレイプだし、それを行っていい資格など誰にもない。そこは持論を展開する場ではないし、感情を発散させる場でもない。でも、特に男性は無自覚にそういったことをやってしまいがちだ。

 

 唐突に話が大きくなってしまって恐縮だが……俺たち男がジェンダーの絡む場面で何かモノを申したくなったとき、それは自分の中の何かがおびやかされたり揺るがされたりしているときなのだと思う。そういうときに発した言葉は、自分では客観的で中立的な“論説”くらいに思っているかもしれないが、それはおそらく、防御反応によって発動した“感情”である可能性が極めて高い。

 

 自分の内側をのぞくのは怖いし、それを言葉にして取り出すのはとても面倒で大変だ。だから自分の外側にある現象について安全圏からコメントしているほうが楽だし気持ちがいい。でも、それがセカンドレイプやセカンドハラスメントの温床になっているとしたら……。そう考えると、ちょっとゾッとした気持ちになってはこないだろうか?

 

 何かにモノを申したくなったとき、それは心の内側をのぞくチャンスなのかもしれない。

 

 

 

清田隆之(桃山商事)

文筆業、恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。1980年東京都生まれ。

これまで1200人以上の恋バナを聞き集め、「恋愛とジェンダー」をテーマにコラムやラジオなどで発信している。『cakes』『WEZZY』『anan』『GINZA』『精神看護』『すばる』『現代思想』など、幅広いメディアに寄稿。桃山商事としての著書に『生き抜くための恋愛相談』『モテとか愛され以外の恋愛のすべて』(ともにイースト・プレス)、単著に『よかれと思ってやったのに──男たちの「失敗学」入門』(晶文社)などがある。

 

 

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ブックサポーター 清田隆之さんの本

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『よかれと思ってやったのに:

    男たちの「失敗学」入門』

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1200人以上の悩み相談から見えてきた男性の傾向と問題点を考えます。どうしてこんなにもわからないのかと憤慨する前に、男女間の違和感を理解して、納得すればより良い関係が築けるかもしれません。

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     見えてきた巨大構造」

〈『エトセトラ vol.1』特集:コンビニからエロ本がなくなる日〉

(田房永子責任編集

 エトセトラブックス 2019年)

コンビニにエロ本が置いてあることに何の疑問を持たないまま生きてきて、ジェンダーの問題に関わるようになってから、問題視し始めたといいます。成人向け雑誌製作者の話とコンビニのガイドライン等でさらにモヤモヤした気持ちになりそうです。

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