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エッセイ2018

ジェーン・スー 「『男って』と『女って』」

 

「男って」と「女って」

 

 「男ってこういう生き物」とか「女ってこういうもの」というような言い回し、使ったことありませんか? 過去、私は気軽に使っていました。いまでも「個体差はあれど傾向として」と前置きしながら言うこともあります。誰かを傷つけることがなく、根拠のない悪感情を生むものでなければ、気心知れた仲間内の他愛のないおしゃべりで「女子校出身者って」とか「サラリーマンって」とか、十把一絡げでものを語るのは「あるある遊戯」として楽しくもあります。

 

 さて、この「男って」「女って」「女子校出身者って」「サラリーマンって」という言い方。どれも同じように聞こえるかもしれませんが、実は最初のふたつとあとのふたつには決定的に異なる点があります。私がいい年の大人になってから、実体験で学んだことです。

 

 後者のふたつは、個体差がある前提での「女子校出身」や「サラリーマン」という属性の話だとハッキリしています。対比となる属性は「男子校・共学出身」や「自営業者」でしょう。人はおかれた環境によって考え方や社会の見え方が変わることもあるという話だと、いちいち説明をせずとも相手と共有できる。

 

 一方、「男って」「女って」はどうでしょう。この語り口を「おかれた環境の差が生む傾向の違い」と認識して会話している人はどれくらいいるでしょうか。少なくとも、うんと昔の私はまったくそう思っていなかった。「男って、女って、こういう生き物」という言い草にあるように、これは生物としての特性だと思っていた。つまり、持って生まれた性別が決定する不変的かつ普遍的なものだと。

 

 たとえばいかなる場面でも男を頼りにしない女子校出身者がいたとして(それが悪いことだとは思いませんが)、彼女が「女って男を頼りにしない」と言われないのは、そうでない女がほかにいるのが明らかだから。サラリーマンは可変的かつ一時的な属性である可能性を持つので、「持って生まれた変えることのできない属性」と考える人はほどんどいないでしょう。しかし「男って」「女って」はそうはいかない。思考や行動の違いは性別に決定づけられると考えられてしまう場面が、まだまだ多く見受けられます。持って生まれた性別自体が、すでに自己の決定に基づき可変的になったのに、ねえ。

 

 脳やホルモンの違いといった専門的な話は門外漢なので、一旦脇においておきます。しかし、男を「俗に言う男っぽさを持つ者」たらしめるもの、女を「いわゆる女らしさのある者」たらしめるものが脳やホルモン以外にもあるであろうことは、ちょっと考えればわかること。だって男も女も、おかれた環境や社会からの期待が、少し前までまるで違ったんだもの。

 

 ポーンと話が飛びますが、幼稚園児だった頃の私は足を閉じて座ることができませんでした。内ももの筋肉が十分に発達していなかったからでしょうか。集合写真に写る私はいつも両膝が離れていて、それを見た友達のお母さんは「あら、これじゃあお嫁にいけないわね」と笑いながら言いました。悪意はなかったでしょう。でも、私はそのお母さんの顔、めちゃめちゃ覚えてる。性別によって期待される振る舞いが異なり、それによってもたらされる結果に違いが出るらしいことを、この時初めて知りました。

 

 さて、足を閉じて座れなかったせいかは定かではありませんが、私はまだ独身です。ありがたいことにパートナーはいます。そして、パートナーとの生活を通して「いままで性差だと思っていたことは、間違いだったかも?」と思う経験がグッと増えました。

 

 我が家ではパートナーが主に家事を担当し、外でお金を稼ぐのは私の役目です。得意なことを得意な方がやることにして、暫定的にこのかたちを選んで三年くらい経ちます。パートナーは男なので、ざっくり表するならば、俗に言う男と女の役割(と、されがちなこと)が逆になったのです。

 

 役割をこう決めてからというもの、両者ともに仕事をしていた頃とは異なる発言が互いの口を突いて出るようになりました。パートナーは彼が決めた家のルール(飲み終わったペットボトルはすぐ潰す、定位置に調味料を戻す、など)を乱す私に苦言を呈し、私はパートナーが賢くやりくりして買ってきた肉を見て「頑張って働いているんだから、もうちょっと良い肉が食べたい」と愚痴をこぼします。大喧嘩になると、パートナーは私を稼ぎ手至上主義だと批判し、私は「でも私が外で働いているおかげで……」と言いかけてハッとします。それを言っちゃあ、おしまいです。でも、稼ぎ手になるとアイデンティティがそこに宿りがちになるのですよ。それ以外に家庭内で自分の役割(必要性とも言える)と自負できるポイントがないのです。稼ぐことが自分の価値になってしまうのですな。危ない危ない。

 

 発言も思考も行動も、性別ではなく「立場」や「役割」が決めるのだと思います。会社に食ってかかる血気盛んだった先輩が、役職に就いた途端しどろもどろになるのと同じです。環境によって特徴の傾向が異なる女子校出身者やサラリーマンと、なんら変わりない話です。事実、私はこの形態をとってから深刻な仕事の悩みを人に打ち明けづらくなりました。パートナーに対してもです。余計な心配を掛けたくないし、不安を家庭内に持ち込みたくないから。共稼ぎだってそうかもしれませんが、片方が仕事を辞めたら収入がゼロになるという前提は、やり甲斐はありつつも、なかなか厳しいものでもあります。

 

 幼い私は、性別によって期待される振る舞いが異なり、それによってもたらされる結果に違いが出る可能性があることを、閉じられない両膝で知りました。でも、性別に期待される振る舞いをクリアしたか否かで結果が異なるのはマズいんですよ。なぜなら「〇〇って」はおかれた環境によって変化するから。環境が変わったのに期待される振る舞いに変化がなければ、どうしたって矛盾が起こる。

 

 「女に仕事は任せられない」と平気で言う人がまだ存在するのは、その人が女に期待する振る舞いが仕事をまっとうするのに見合わないからでしょう。「男には細やかな気遣いができない」と言う人がいたら、その男性はいままで細やかさを期待されてこなかったし、それが必要な環境におかれていなかったからでは? と疑問を呈してみたい。私は女ですが、細やかな気遣いは苦手な方です。それを期待される環境に身を置いていたって、できない人もいるのです。

 

 勇ましい上司が男ならば頼られて、女なら怖がられる。それはマズい。キャリアを重視しない人が男なら残念がられて、女なら歓迎される。それもマズい。個性や環境によって考え方の傾向に違いが出ても、社会からの期待が性別によって固定されないこと。これが叶うと、いろいろと楽になるのではないかなと思います。

ジェーン・スー

コラムニスト、ラジオパーソナリティ、作詞家。1973年東京生まれ。

現在、TBSラジオ「ジェーン・スーの生活は踊る」のMCを務める。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)、『女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。』(文藝春秋)、『今夜もカネで解決だ』(朝日新聞出版)など。近著は『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮社)。

 

 

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ブックサポーター ジェーン・スーさんの本

あざれあ図書室

『貴様いつまで

          女子でいるつもりだ問題』

(幻冬舎 2014年)

ここまではっきり言われるとスッキリします。女性なら何歳になっても“女子”でいたいと思うのではないでしょうか。“女子”とはいったい誰のことなのか?ピンクはいつまで好きでいいのか?ブスでもババアでもいいじゃないか、等、私たちの本心を代弁してくれます。開き直れる一冊です。

『未中年』

      (新潮社 2017年)

ジェーン・スーさん原作のコミックです。

40代の現実はなかなか厳しいです。仕事も家庭も子育ても充実しているようで、何か足りないと思ってしまう。足りない何かを補うためにチャレンジしたいけど、歳や体を言い訳にして躊躇してしまう。そんな40代を打破して、かっこいい50代を迎えていきたいと思わせてくれます。

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